今日は視点を少し変えて「やまとことば」について触れてみます。
いろいろな人がやまとことばについて述べています。
一番わかりやすかったのは現在からさかのぼった時に変化がはっきり見えるところを見つけたときでした。
現在は言葉が入り組んでいます。
やまとことば、漢語、英語・・・。
日本が取り込んできた大きな文明の足跡ではないでしょうか。
人々がそれぞれの地域で必要な食糧を狩りをして得ていた時代には、年貢もそれを怠った時の刑罰もいりませんでした。
イネが持ち込まれると様相が一変します。
イネは主食となりしかも保存がききますから富の蓄えができるようになります。
持つものと持たないもの、支配と被支配の関係ができてきます。
大和朝廷の誕生です。
すると支配者にとって都合の良い秩序を作り始めます。
当時の世界の最文明国であるお隣の中国から国を治めるルールと罰するルールを持ってきました。
律令ですね。
そして、国を治めるには人心を把握するのに壮大なイデオロギーが必要になります。
人が生まれてから死ぬまで、さらには死んだあとの世界までを表すために仏教が持ってこられました。
これらのすべてが漢語で導入されたのです。
さらにはほとんどのものは文字で入ってきました。
大きな文明が入ってきたときには、既存の文明はあっという間に追いやられてしまいます。
漢語を使えることがエリートであり、公式文書を中心に一気に漢語を使うようになります。
それ以前には伝達のための言葉はあったと思われますが、文字は記号的なものしかなかったと思われます。
文字で書かれた漢語を読み、理解するためにカタカナが生まれそしてひらがなが生まれました。
公式文書は漢語で、漢語の読み書きを助けるためにカタカナで、くだけた環境ではひらがなでと使われていったと思われます。
もともとあった伝達のための言葉とひらがなががぶつかってできた言葉が「やまとことば」だといわれます。
むずかしい表現はほとんどなかったと思われます。
日常生活の行動を表す言葉、「たべる」「あるく」「ねる」的なものが中心でした。
「やまとことば」だけを考えようとすると難しいので、漢語や英語が入って使われていることと比べると少しは分かりやすくなるのではないでしょうか。
現在使われている同じことを表現する3つの表現、「やまとことば」「漢語」「英語」で考えるといいと思います。
「切る」やまとことば、「切断」漢語、「カット」英語。みたいなことですね。
もう一つ「やまとことば」と「漢語」を見てみましょう。
1から順番に10まで上がっていく発音をしてみてください。
次に反対に10から1まで下がってくる発音をしてみてください。
ほとんどの人はこのようになりませんか?
上がっていくとき「イチ、ニイ、サン、シイ、ゴウ、ロク、シチ、ハチ、キュウ、ジュウ」。
下がってくるとき「ジュウ、キュウ、ハチ、ナナ、ロク、ゴウ、ヨン、サン、ニイ、イチ」。
上がっていくときがほとんどですので、その時はルールに基づいてすべて漢語で言っています。
実は下がってくるときの「ナナ」と「ヨン」がやまとことばなんですね。
下がってくることを使うことのほうが圧倒的に少ないので、気にしないうちに本来持っているものが出てしまうのですね。
このように私たちは意識せずに「やまとことば」「漢語」「英語(カタカナ)」を使い分けしているのです。
これって、他の言語を母語とする人が学ぼうとするととんでもなく厄介なことだと思いませんか?
日本語で思考することって、ひょっとすると他の言語で思考することよりもものすごく高度なことをしているんじゃないのかな?
しばらくの間、休日ブログは日本語についていろいろ見ていきたいと思っています。