2013年5月30日木曜日

漢語導入に見る日本語の奇跡

漢語と漢字の違いについては何となく理解してもらえるのではないかとタカをくくっています。

漢字というのは見ただけで意味がわかる造語力があります。

つまり文字として見ただけで「大体こういうことだろう。」と理解することができるのです。

一文字ずつが意味を持った(成り立ちを持った)言葉ですから、2語3語とつながることによってより具体的な意味を持ってきます。

「漢」という言葉は大変抽象的な言葉です。

「語」という言葉も非常に抽象的でスケールが大きくて、具体的な説明がしにくい言葉です。

ところが「漢語」となった途端にきわめて具体的に、「中国の漢に時代に使われた言語かな?」と推察が可能になります。

実際の漢語は漢の時代にこだわらずに使用しますが。


漢字は一文字では抽象的な言葉がほとんどです。

2文字の熟語になることによって、ぐっと具体性が増してきます。

さらに3文字4文字になるとぐぐぐっと具体的になります。

「会」とういう字があります。

一文字だと何となく「人が出会って集まっている感じかな?」ときわめて抽象的なイメージです。

これが二文字になると「会社」「会合」「社会」「総会」「大会」「会話」、とかなり具体的になります。

もう一歩「大会社」「会合日」「村社会」「党総会」「大会案」「会話集」、となるとどうでしょうか?

「株式会社」「会合時間」「高齢社会」「緊急総会」「決起大会」「日常会話」、こうなったらもう逃げようがないという感じではないでしょうか?


古代から近代にいたるまで日本は中国の文化圏にありました。

当時の世界でもっとも進んだ文化圏でした。

その文化を学び、それに伴ってその言語と文字を学びとりました。

「便利で大きな文化が入って来ると、そこに元からあったものはなくなって吸収されていく。言葉もまたしかり。」に照らせば、この段階ですべて漢語文化に吸収されていても何の不思議でもなかったのです。

事実、世界中にはこのようにして失われた言語は数えきれないほどあります。

ほとんど表記文字を持っていなかった当時の日本に、世界で最も優れた文明の国から言語がやってきたのです。

どう考えても吸収されて当たり前の状況だと言えます。

ここでそのまま漢語に吸収されることなく独自の言語としての日本語が形成されていったことに対しての説明のつく定説はありません。

だから、素人の私が勝手に好き放題を言っていられるのですが・・・。


私の考えでは大きく二つの要因があったのではないかと思っています。

一つは地理的な条件です。

日本海という大きなバリアがあったことです。

これによって、中国文化圏から直接渡って来ることができる人間が、きわめて限られていたことがあると思います。

数と力を持って一気に侵略・征服という形で漢語文化にしてしまうことができなかったのではないかと考えています。

また、日本海を渡るにしても当時としてはそれこそ命がけであり、影響力を持った人間や高官はまず来ることはなかったと思われます。

命がけでちまちまと日本から出かけていくのが精一杯だったのではないでしょうか。


もう一つは、話し言葉としての漢語の複雑さです。

当時の日本にも話し言葉は各地の方言を有しながら、かなり広まっていたと思われます。

そこに入ってきた漢語の音はあまりにもかけ離れていました。

現代中国語でも母音の数は36個もあります。

子音の数は21個と言われています。

現代日本語の50音(濁音、半濁音を入れても71音です)に比べて400くらいの音が存在します。

話し言葉は長い年月をかけて省略化されて減っていきますが、新しい言葉も入ってくるため極端には変化しません。

50前後の音を持って話していたところへ400前後の音が入り込んできました。

しかも日本語独特の平坦なアクセントに対して、アクセントはおろか声調の上げ下げまであります。

どうでしょうか、何を言っているのか全く分からなかったというのが実態ではないかと想像します。

つまり、話し言葉としての漢語はそれまで使われていた話し言葉を吸収するきっかけにすらなかったといえるのではないでしょうか。


それでも世界の最先端にある文化は取り入れたいのですから、日本からは船を出し書き物としての文化をたくさん持ってきます。

これが漢語です。

中国へ渡った高官やインテリたちは当然言葉も仕入れてきますが、50しか音を持っていない耳に400の音を聞き分けることはできません。

50の音の中でその音を解釈し、使用することになります。

たまには中国本土から人が来ることもあったでしょうが、彼が話す音は結局50の音の中でしか解釈できません。

当時のことながら、これが時間をじっくりとかけて進行していったことでしょう。

明治維新のように導入のスピードに迫られていたら無理やり「とりあえずこれはそのままこう呼

べ。」という、外国語をそのまま無条件に受け入れることもあったでしょうが、時間はたっぷりとありました。


結果として、文字を必死に学んで最先端の文化を取り込んできたのだと思います。

そしてそれまで持っていた音の中から持ち帰った漢語の音に近い音をあてていったのでしょう。

和製漢語の始まりです。

そのな中から50音を代表する漢語が選ばれて、ひらがな化していったのではないかと考えています。


ひらがな化についてはまた機会があるときに考えたいと思います。

ちょっと長くなってしまいました。

お付き合いいただきありがとうございます。