日本語には母音の長短で意味が変わってしまう言葉がたくさんあります。
たとえば「おばさん」の「ば」が伸びると「おばあさん」になって、一気に30歳も年を取ってしまいます。
さらに「おばさん」の「お」が伸びると「おおばさん」となって、人の名前になってしまします。
「トキ(時)」を伸ばして「トーキ」とすると、冬季・陶器・当期・登記などまったく意味の違う言葉になります。
母音を伸ばすといっても実際には2倍まではなっていなくて、1.6倍くらいのようです。
「おじーさん」の「じー」は「じ」の1.6倍くらいの長さということですね。
表記としては伸ばす音の母音を付ける場合が多いですね。
この場合「お」の母音をのばす場合は「う」と表記されます。
「う」と表記されても音は「お」です。
「おとうさん」「そうりだいじん」「ぞうり」などですね。
「オトオサン」「ソオリダイジン」「ゾオリ」と読みますよね。
さっきの「トーキ」で見てみると文字で書くとすべて「とうき」ですが、発音はトオキです。
母音単独の「お」については伸ばす場合でも「お」と表記されます。
「おおかみ」「おおどうり」「おおげさ」「おおきさ」などですね。
便利な言葉(記号で)表記されることもあります。
「-」ですね。
なるべく精度を高く表現すると「直前の音の母音を伸ばす記号」ということでしょうか。
この辺が駄洒落の原点だと思われます。
音が似ていて意味が違う言葉を想像させられると脳が喜ぶ。
日本語の本質を自分の中に持っているからなんでしょうね。
駄洒落というと品がないように聞こえますが、語呂合わせや掛詞として言葉を磨いてきた歴史があります。
おやじギャグとしてCMでも流れていますよね。「え~よお~ん(A4)」みたいに。
基本として音で遊んでいますので、駄洒落として発している方が描いている言葉と受け手が想像した言葉が一致しないとポカ~ンとした状況になってしまいます。
時として発したほうが描いた言葉と違う言葉のほうがその場の駄洒落としてはさらに面白かったりすることはありますが、まずは同じ言葉が描けることが基本ですね。
この時の脳の働きってすごいことだと思います。
駄洒落ですからその場の雰囲気やその時の話題に沿った、瞬間的な創造力がないと発することができません。
受け取るほうもそれに対応できる瞬間的な想像力で言葉を見つけなければなりません。
自分の持っている言葉が掘り起こされる快感と言えるかもしれないですね。
日本語は音としてはきわめて少ない音でできていますが、文字・言葉としては漢字・カタカナ・ひらがな・ローマ字と莫大な展開となります。
一つの音に対して多くの言葉が対応していることになります。
しゃべることでは世界でもきわめて簡単な言語である日本語が、読み・書きになったとたんに世界で最も難しい言語のひとつになってしまいます。
その分、駄洒落として使えるネタは豊富にあるということですね。
母語として日本語を持っていることの強みかもしれないです。
ダジャレによって日本語が鍛えられる。
駄洒落の応酬は脳が喜ぶ。
日本語が鍛えられると、思考力が鍛えられる。
文化としての駄洒落はもっともっと光が当たってもいいと思います。
駄洒落で思考力を鍛えよう!!!
おやじギャグ 万歳!!!