2013年12月1日日曜日

どこまで使える意志のチカラ

意志の力が有限ではないかという考えに出会いました。
しかも、
一日単位の有限さであって、しっかり睡眠を取ることによって翌日は回復するというのです。

何かをやろうとしても長続きしない私にとっては、とっても興味ある考えです。
確かに、夕方から夜にかけての何かを決めようとする意志や、何かをやろうとする意志は、自分以外の強制力がないと行動に移せないことが多くなっています。

特に、自分の関心のあること以外は行動に移すのにかなりの意志力を必要とします。
一日の体の疲労とも関係があるのでしょうか、意志力を使って活動することが多かった日は、夕方すぎるとほとんど判断ができなくなります。

意志力を必要とする活動は、一日のうちの早い時間に行なった方が良さそうだということは感じていたことです。
また、
遅い時間に意志力が必要な場合は、使える意志力を取っておく必要があるようです。

しかも、一日で使える意志力の総量は思っていたよりも少ないようです。
思わぬ些細なことで意志力を使ってしまうと、肝心な時に使える意志力が足りないことが起こるようです。

 
意志力の弱い私にとっては、なんと都合のいい考え方でしょうか。
考えた人に感謝したいと思います。

重要なのは、
減っていく意志力をどのように補うのかであったり、少ない意志力で上手く自分をコントロールすることです。

その考えによれば、睡眠は意志力の充電の最良の方法のようです。
一日を終えたあとの質の良い睡眠が一番のようですが、昼寝でも効果はあるようです。
そうは言っても、寝てばかりはいられませんね。

少ない意志力で自分をコントロールする方法が一番知りたいところです。
できる限り習慣化していくことが少ない意志力でできるコツになるようです。

初めのうちはかなりの意志力を使って行なっていることも、習慣化できていくことによって使用する意志力が大幅に減っていきます。

 
習慣化にも二種類の習慣化があるようです。

一つ目が、意志力をほとんど必要としない、脳が「快」と判断したことが繰り返されて習慣化してしまったものです。
喫煙、飲酒、散歩、礼拝などは頻度は別にしても、そうして習慣化したものといえるでしょう。

内容はいいことでも悪いと思われることでも同じです。
癖と言われるもののほとんどがそうだと思われます。



もう一つは自分でそうしたい、あるいは誰かから言われてそうしよう、またはしなければならないと思ったことで、自分の意志でそれを行い続けたときになされる習慣化です。

習慣化されるまでは、強力な意志の力や痛みが伴っています。
そのことをやるときの瞬間の脳は、そのことにに対して「快」とは思っていません。
「快」と思っていたらほとんど意志の力を使わずにできるはずです。

「不快」まではいかなくとも「快」でないことに対しては、できればやらずに済ませたいという気持ちが働きます。
この気持ちに打ち勝って行動するために意志の力が必要になるのです。

やらずに済ませたいという気持ちが強力な場合は、それをすること自体が、それをすることを考えること自体が「不快」となりますので、かなり強い意志力が必要となります。

歯磨き、早起き、などがそれにあたると思います。



習慣化についてはいろいろな効果があることや、人が変化するための最大のポイントであることは広く知られているところです。

意志力という考え方や、その意志力を本当に必要な時に最大限に発揮させるために、習慣化によって補助をするという考え方は、私にとってとても新鮮でした。

このことは、習慣化したくてもできない自分にとっては、気持ちの上で非常に楽にしてもらえることでした。

習慣化できるまでは意志力を必要としますが、それは大切な意志力を効率よく使えるようにするためのステップですね。

習慣化の方法はいろいろな方が述べられていますので、自分のやりやすい方法をやってみることがいいと思います。
どんな方法でも習慣化できた時の姿を明確にイメージすることと、習慣化してく過程での「快」としての楽しみの発見がキーになるようですね。

習慣化して意志力をなるべく使わずに、自動的に成長を続けてしていくことが目標ですね。
途中で起きることは習慣の置き換えという、かなり意志力を必要とすることであることは見えていますけど・・・