2014年2月19日水曜日

外国の言語教育(5)・・・中国

今回は中国です。

経済発展が急伸している中国では、義務教育においても大きな変化が現れてきています。

まずは、義務教育の制度から見てみましょう。


今まで見てきた国との大きな違いは国の体制です。
共産党の一党支配の国であるということを常に頭においておかなければいけません。




中国の義務教育期間は日本と同じで、満6歳から15歳までの9年間となっています。

初等教育6年間、中等教育3年間についても日本と同様ですが、初等教育においては1~2学年と3~6学年で大きな区切りが設けられているようです。

中国では教科としての国語のことを語文と読んでいます。

大きな国ですので言語としても、標準語としての普通語以外に北京語、広東語、上海語など、語彙も発音も大きく異なるだけなく文法までもが異なる方言が存在しています。

普通語しか話せない人にとっては、ほとんど意味が分からない方言もたくさんあるようです。

七大方言や十大方言などといった呼び方もあり、母語としては異なった言語としてとらえたほうが良いと思われます。

それでも書き言葉の多くは共通しているために、書かれた文書の理解は共通しているようです。





中国の子どもは、小学校に入ると漢字を覚えることから国語教育を始めます。
小学校に入るころには、話し言葉としては立派な中国語を話していますので、それがどういう漢字の言葉であるのかを勉強していくことになります。

小学校6年間を通して、2,000字程度を覚えることになるようです。

日本の「ひらがな」のような簡易な文字はありませんので、漢字を覚えるまでは文章が書けないことになります。
実際に、まともな作文が書けるようになってくるのは、中学に入ってからということが多いようです。

言わずもがな、中国は共産党の一党支配であり、小学校の教育はその国体護持のために大きな役割を担っています。

その教科書では徹底した個人礼賛主義を貫いており、過去の偉人をたたえる話やひとりの優秀な学生を褒めたたえる話が多くなっています。

詩的に表現されることが多く、自分の意見を述べている者の評価は悪くなり、過去の作品の名セリフをうまく使っている者が評価されることが多くなっているようです。

必然的に、有名な格言やことわざ、たとえ話の引用などほとんどオリジナリティのない杓子定規な作文となっているようです。

オリジナリティを求めると、とたんにフランクな話し言葉のような文体になってしまい、話しの流れもグダグダになってしまうようです。

小学校時代の語文の授業時間は総時間の20~22%程度を占めており、どの科目よりも多くなっています。

1980年ころまでは国の定めた国定教科書によって授業がなされていましたが、1986年に語文教学大綱によって検定制へと移行しました。
検定ですので、国の意向が色濃く反映されていることに変わりはないと思われます。





また、中国では国際化への対応の一環として1987年より、英語教育に取り組んできました。

条件が整う重点校においては小学校3年生から、そうでない場合は中等学校の1年生から英語教育を開始しました。

当時の教育現場の実態からみて難度が高すぎ打ち出されはしたものの批判を受け、とくに小学校段階からの英語教育は全国の大多数の地区で実施には至りませんでした。

批判の論点は、標準中国語ですら充分にマスターできていない年齢段階で英語を導入するのは尚早である、英語教育を実践できる教員が中等レベルですら圧倒的に不足しているのに初等段階での実施は無理であるなどの点でした。

様々な批判や影響を受けながらも、国際都市や経済特区などでは小学校1年から英語教育が行われています。

児童期に英語に触れることによって独自言語・独自文化への影響が懸念されましたが、導入後はおおむね良い評価を受けているようです。

そこにあるのは、英語を学ぶことによってどうしても個人的な部分に目を向けざるを得ずオリジナリティを重視せざるを得なくなるからです。

国策としてはその影響を避けようと国語・歴史についてはさらなる重点を置き時間を割いていますが、経済発展のための道具としての英語の教育はさらに力を入れざるを得ない状況となっています。


特にオリンピック前から英語を義務化した内容が増えてきました。

英語教育を受けてきた子供たちが社会の指導層になっていく頃には、さらなる大きな変化が中国に訪れることになるのでしょう。

インターネットの普及率の高さや経済発展に伴って、広大な国土の中で様々な格差が一段と広がっています。

国体維持に必死になっている状況で英語教育を強化せざるをない環境は、旧体制の権力者たちにとっては両刃の剣と言えるのではないでしょうか。




言語を学ぶことは、その言語を母語とする者の文化・思考を学ぶことになります。

学ぶことはできても、自身の思考は母語に頼らざるを得ません。
しっかり考えようとすればするほど母語に頼ることになります。

中国語に比べると英語は遥かに単純な言語です。
母語としての中国語をしっかりと身につけている者にとっては、いとも簡単に操れる言語です。

中国生まれの英語母語話者が増えている現状は、この先どのような影響を与えていくのでしょう。