2014年5月11日日曜日

「母語」の大切さ・・・TVで話しました

先日、お友達の斎藤洋子さんがやっている番組(セリシールTV)で、「母語の大切さ」を取り上げていただきました。

U-streamで配信しているのですが、録画をyoutubeでアップしているのでリンクを張り付けておきます。
(参照:「母語」の大切さ・・・エーゲの輝き

初めの部分の録画ができていないので切れていますが、話の内容とすればほとんど問題ないと思います。


こういうところで話をすると、改めて伝えることの難しを感じますね。

どうしても伝えたい内容を欲張ってしまいますので、普段の早口が余計に早くなってしまいます。


聞いている人にとって、少しでも「?」という場面が出てくると、考える時間が必要になりますので、「?」のあとの言葉を拾いそこないますね。

すると内容が続かなくなってきますので、その部分が抜けてしまうことが起きます。

これが頻繁に起きると、話の内容がほとんど残らないことになってしまいます。


実際に自分で経験することによって初めて、頭で理解していることと実際にできることは全く違うことなんだと言うことがわかってきますね。

本を読んだり動画を見たりして知識を得ることは誰でもできることです。

ところが、ここで得た知識をあたかも自分が経験したことのように勘違いしてしまうことがあります。

なかには、疑似体験を目的として本や動画を見る場合もあるくらいですね。


自分でやってみて初めてわかることのことの多さは、知識とは全く別次元のものです。

知っていることとやってみたことがあることとは大きな違いがあります。

これを混同することは、特に人に何かを伝える場合に受け手に与える感覚を勘違いすることになります。


自分が受け手になった時の感覚をよく考えてみると、知識として表現されたものと本人の経験として表現されたものは、受け入れる感覚が明らかに違っています。

さらに、発信者の知識なのか直接の経験なのかを分類してその信用度を決めていることがわかります。

上っ面の知識で話している場合には、どんなに表現方法が上手かったとしても、心に響いてくる感覚にはなりません。

反対に、自己の経験から出ている話は、たとえ表現が下手で伝わりにくくとも、しっかりと心に届いてくる感覚があります。


自己の経験に基づいて、本当に伝えたいことを一生懸命に伝えている姿は感動すら覚えるものとなっているのではないでしょうか。

受け手には誰でも、この知識と経験の差による感覚をかぎ分ける能力が備わっているようですね。


今回のゲスト出演で改めてそんなことを感じました。

小手先のテクニックは口先に出ますね。

本当に伝えたいとと思っていることは、そう思って話していると本当に伝わるようですね。


今回の話は、きちんと伝わっていたのかなと心配になりますが、それは受け取る人がどのように受け取っていただけたかですね。

自分が思っているようには受け取っていただけないことはわかっていることです。


見られた感想をいただけるとありがたいですね。

絶対に私が思っているのとは違った受け取り方をしていただいていますので、お聞かせいただけるとありがたいです。

よろしくお願いします。



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