2014年12月15日月曜日

日本語は究極の環境言語

日本語は世界でも類を見ない独特の進化を遂げてきた言語です。

地理的背景や歴史的な背景、民族の成り立ちによる背景など、その原因と思われることはたくさんあげることができます。

その中でも、特に大きな要因は地形と天候を挙げることができると思われます。

このことについては、このブログでも触れてきました。
(参照:日本語の起源


それは、結果として自然とどのように向き合い、自然をどのように見るかということに現れていると思います。

日本語だけを見ていたのでは理解しにくいことも、他の言語の代表として一番馴染みのある英語と見比べてみた時により鮮明となってくるものです。

自然をどのようにとらえているかが、すべてのものの見方の基本となってくるからです。
(参照:言語とものの考え方


世界に存在する5,000とも8,000とも言われている言語の中には、自然との共生のなかで生かされている自分という感覚の日本語と、近い環境で発展してきた言語もあるのではないかと思われます。

しかし、それらの言語のなかで世界の最先端の文化を担っている言語がどれだけあるでしょうか?

一つの見方にすぎませんが、ノーベル賞の自然科学分野(物理学、化学、医学生理学)の過去の受賞者の中に、それらの言語を見つけることは出来ません。

先進文化を担っている言語の中では、日本語は一段と際立った特殊な言語となっているのです。


英語をはじめとする欧米言語では、人間が自然に対して絶対的な上位に位置しており、人間が持った知によって自然を理解しコントロールしようとするものです。

そのおかげで、自然を研究対象として自然科学が発展して技術開発が行なわれて、人間の存続や発展の役に立ってきました。

その技術の恩恵によって、今の人間が存在していることは間違いのないことです。

その限界が近づいている、あるいはすでに限界を迎えていることは、感覚としてすべての人が感じていることだと思われます。


日本語は自然に対しての捉え方の全く異なる言語です。

どちらがと言えば、先進文明との接触の少ない原住民的な自然感覚に近いと言ってもいいかもしれません。

その言語が先進文明を取り込みながら、昔の形を維持していることが一つの奇跡と言えるのではないでしょうか。

先進文明の恩恵にあずかるためには、そのための言語が必要になります。

先進文明に頼れば、その言語に頼ることになります。

やがては、もとからあった言語が辺境へと追いやられていくことになります。


ところが、日本語は先進文明を取り込みながらも、それに対応する言語を限定してきたのです。

漢字やカタカナ、アルファベットで対応して、数千年前から使用されている日本語である「古代やまとことば」をひらがなで継承し続けているのです。

しかも、それが日常言語として文字としても共存しており、音としては「古代やまとことば」の音ですべてを表しているのです。
(参照:やまとことばを守りきった漢字とカタカナ


英語を代表とする欧米言語においては、絶対的な価値としての人間があり知がありますので、自然に対しては客観視することになります。

そのために説明や論理が必要になります。

わからないものをわからないまま受け入れることができないので、何らかの論理によって説明することを試みます。

筋の通った論理でないと気持ちが悪いので、仮説として置いておきながらそれを検証することを怠りません。

それによって、説明できる論理を描き、技術として利用してきています。


日本語においては、人間そのものが自然の一部であり理屈抜きに自然の中に存在しているものです。

わからないことの方が多いのが自然の姿なのですから、わからないものをわからないままに受け入れることが自然にできます。

反対に、おかしな説明を付けたものを不自然と感じます。

不自然なことの方が気持ちが悪いのです。


英語においては主体は常に自分です。

ですから「I」という主語が常に必要になります。

どの様な環境にあろうとも、絶対的な主体は自分ですので必ず「I」が必要になります。

環境は常に変化しますので、絶対的な自分から見たら常に環境の説明をしなければ自分のポジションが明確になりません。

自分は固定の「I」ですので、一生懸命に環境の説明をして理解を得ることが必要になります。

そのために、説明言語、論理言語としての英語となっているのです。


日本語においては、自分は自然(環境)の一部です。

自然や環境の方が絶対的なものとなっています。

したがって、環境に応じて自分が変化します。

環境が共有できれば、自分を説明しなくとも共有できるのです。


日本語の主語は、ほとんどの場面で省略されますが、その割には主語を表す言葉があまりのもたくさん存在します。

英語の「I」にあたることばだけでも、「わたし、おれ、自分、僕、」あるいは相手との関係においては自分のことすらも、「お父さん、おじいさん、お兄さん」などと言ったりもします。

同じ人間なのに、子どもに対応しては「お父さん」であったり、孫に対応しては「おじいさん」であったりしますし、また、自分自身でそのように呼ぶことすらあります。


日本語では、環境を共有することがきわめて自然に行われます。

自分も相手も、その環境の中の存在としてお互いが認識していますので、いちいち主語を使いません。

主語がある方が不自然になるからです。


主語を使用する場合は、同じ環境の中の要素に似たようなものがあり、それと区別するときに初めて使用するのです。

公の場で多くの人がいるばあには、公に対しての「私」をつかいます。

また、批判の対象として強調したい場合や喧嘩などで特定の相手を指定する場合などにも主語を使うことがあります。

つまりは、自分自身や人間は、環境に対しての相対的なものとして存在していることを無意識に感じているのです。


相対とは、対象との関係そのものです。

つまりは、対象との関係によって自分自身の位置付けが変わるのです。

自分自身や人間が絶対的なものではないのです。


日本語を母語に持つということは、この感覚が自然に身についていることになります。

欧米の言語話者である、自分や人間が絶対的な者から見たら、きわめて曖昧で優柔不断に見えるはずです。

彼らは、自分を基準にして環境を説明しようとします。

そのために知をフル活動して論理を展開します。

自分の説明を理解してもらおうとして「YOU」をたくさん必要とします。


日本語話者では、言語の以外の感覚も環境の共有に使われています。

ひとたび環境が共有できれば、主語は必要ないのです。

しかも、理解できないことであっても理解できないまま、それが環境であるとして受け入れることができるのです。

相手は、環境の一部であり、環境に対して自分自身のポジションを柔軟に変化させているのです。


主語に対して使える言葉は数限りなくありますが、実際に使われる場面は極めて少ないです。

環境を共有するために、最初に主語を使うことはよくあることですが、ひとたび環境が共有できたらほとんど主語がありません。

わからないこともそのまま受け入れようとしますので、環境の共有は無条件で進みます。

相手を含めた環境にの中での自分を見つけようとしますので、環境が定まらないととても不安になります。


日本語話者が本番に弱い原因がここにあります。

想定した環境通りには、本番の環境がなっていないことが多いのです。

そのために不安になり緊張してしまうのです。

模擬としてのリハーサルが大切になるのです。

緊張さえしていなければ、その場の環境の中で自分のポジションを見つけることが簡単にできるに、緊張がこれを妨げるのです。

また、初めての環境では、環境を理解するのに時間が必要になります。

全く予測のつかない環境が、自分のあり方を見えなくしてしまうために一番不安なことになるのです。


欧米言語話者は、自分が絶対的なものですから、どんな環境においても自分が変わることはありません。

彼らは緊張していようとも、自分が絶対ですので、環境によって存在が左右されることはないのです。

せいぜい、リラックスできるか緊張するか程度のことでしかないのです。

そこで、自分を見失うことはほとんどないのです。


世界の他の言語話者から見ると、日本人はその優秀さとともに原始人的な感覚を持ったものと映ることがあるそうです。

原始人は、自然により近い者であり、彼らから見ると人間から離れたものとなります。

その日本人が彼ら以上の優秀さを発揮することが、不思議であり不安なのです。


恐らくは先進文明の言語の中では日本語だけが持っている感覚だと思われます。

ひとたび環境が共有され、相手との関係性が設定されると、省略される言葉が一段と増えてきます。

そんな状態を他の人が見たら、同じ日本語話者であったとしてもほとんどわからない会話の内容になっているのではないでしょうか。


実際の言語以外の感覚をもたくさん含む母語としての日本語は、使いこなせるようになるまでは多くの時間が必要です。

それは、言語としての言葉を理解することが、環境を理解することのほんの一部だからではないでしょうか。

わからないことを理解しようとすることは勿論ですが、わからないままに受け入れてわからないものとして理解する感覚が日本語の本質かもしれませんね。

これだけ沢山の言葉や、表現方法を持ちながらも実際に使う場面はほとんどないことが、日本語の日本語らしいところなのかもしれません。




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