2015年2月13日金曜日

日本語の特殊性を知る

フランシスコ・ザビエルによって「悪魔の言語」とまで呼ばれた日本語は、それほど他の言語話者から見たら難解な言語となっていたと思われます。
(参照:抜群の適応力を持つ日本語

独特な文化風習を持ちながら、地理的気候的な恩恵によってほとんど他の文化による侵略をうけなかった日本文化は、時の経過とともにその独自性を熟成させていったものと思われます。

鎖国の時代であっても、世界の先進文化の情報は一部の交流を通じて持っていたことがうかがえます。


自ら進んで、その門戸を開放せざるを得なくなったのが明治維新ではないでしょうか。

列強の草刈り場とならないためには、ヨーロッパ列強と対抗できる国力を大至急でつける必要があったのです。

国内を二分する戦いは、侵略をする立場からすれば願ったりの環境です。

国内を二分する戦いを、無血開城によって回避できたことは、列強による侵略の足場を作らせなかったことにおいて、まさしく日本を救った快挙であったと言えるのではないでしょうか。


どちらが勝ったとしても、その戦力の裏側には列強の軍事力がついており、その後の統治においては大きな力を借りざるを得ないことになっていたことでしょう。

日本語の独自性を失う危機は、すなわち日本の侵略の危機であったわけです。


自ら漢語を導入したことを除けば、日本が侵略をされて独自性を失なってもおかしくなかった時が3回あります。

1回目が、元寇です。

二度にわたる元(モンゴル帝国)による攻撃は、三度目が用意されていたことは知られています。

地理的な条件や気候のことがその失敗との要因として挙げられていることがありますが、決してそれが主な要因ではなかったと思われることも見つかっています。

ベトナムへも進出していったモンゴル帝国が、やはり第三次の攻撃までをしながら侵略しきれなかったことも、大きな要因の一つでしょう。


2回目が、幕末から明治維新です。

列強の軍事力に頼った国内を二分する戦いを避けられたことと、そのあとの新政府による富国強兵があくまでも自国の意思で行われたことが、日本を守り抜いたことにつながっています。


3回目が、太平洋戦争です。

戦後の戦勝国による分割統治が実施されていたら、日本そのものが解体されて他国に編入されているところでした。

セイロン大使の国連における演説は、日本の分割統治を救った象徴として今でも語り継がれています。


ほとんど奇跡的と言ってもよいくらいの形で、日本の独自性は守られてきたのです。

せっかく独自性を守ってきた日本語について、その独自性の特徴を知らないで過ごすことはあまりにももったいないことだと思います。

日本語の独自性の根本となっていると思われることについて知っていることは、日本語を使っていくうえで大きな力になるのではないでしょうか。

そんな日本語の持つ根源的な部分での、他の言語との違いについて述べてみようと思います。


中国語は現存する世界で最古の言語だと言われており、ギネスブックにおいてもそのように認定されているものです。

日本語の母体はその中国語から借用したものです。

現存する世界の言語の中では、古い部類に属する言語となっています。


中国語(漢語)が日本に導入されたときに、導入された漢語がそのまま日本の言語として定着しなかったことを考えると、漢語とは相容れない言語が存在していたことが考えられます。

文字を持たなかった言語である可能性が高いと思われますが、何らかの表記方法はあったのかもしれません。

導入してきた漢語は、国の記録を残すための正式な記録用の表記として使用されました。

しかし日常の言葉においては、もともとあった言葉を表記するための記号として使用されることによって、仮名として変化していくことになったと思われます。

したがって日本語が持っている根源的な言語の感覚は、漢語導入以前からあった文字を持たなかったと思われる言葉である「古代やまとことば」にあると言えるのではないでしょうか。


言語の持っている根源的な感覚は、以前にも述べましたが自然をどのようにとらえていたかで決まってきます。
(参照:自然とのかかわりで見た言語文化日本語と自然との関係 など)

中国やヨーロッパなどの気候風土の安定した旧大陸に比べると、日本列島はまだまだ安定していない活動中の新大陸に属しています。

そのために、火山活動や地震活動などが活発な地域となっており、地形すらが安定した状態とはなっていません。


更に、日本列島はめまぐるしく変わる季節による変動が大きな地域となっており、安定した自然環境は望むべくもありません。

現在よりははるかに水位が高く、気温が低かった古代においては、生きていくための土地や場所を探すことが最大の難関ではなかったかと思われます。

外部よりの侵略は結果的には現在まで一度も受けていないと言っていい日本列島において、生きていくための最大の敵は自然環境であったことは想像に難くないと思われます。


敵とは言っても、打ち負かすことができない敵ですので、抵抗したところで無駄になります。

激しく変わる自然環境にたいして、自らを何とか適応させていくことが生きていくことではなかったでしょうか。

自らの力の及ばない自然現象に対しては、そこに神の存在を感じて祈りをささげ、祈りが通じた時には自然や神との一体感を感じることとなったのではないでしょうか。

個として自然に向かったのでは、効果が薄いことを経験することによって、互いの存在そのものも自然環境の一部として共生するための工夫を凝らしてきたのが日本民族ではないかと思われます。


地形や気候的に安定したエリアで、隣り合う民族との侵略に明け暮れた中国やヨーロッパと一番違うのが、生きていくために対応すべき相手だと思われます。

彼らは、生きていくためには侵略に対抗しなければなりません。

相手は人であり国です。

時には自らが侵略を仕掛けていかないと、反対にいつ侵略されるかわからない環境にあったのです。

自然環境はそのために利用すべきものでしかありませんでした。


したがって、どうしても彼らの言語は人に対してのものとなるのです。

敵と味方を区別するためのものとなるのです。

相手を屈服するためのものとなるのです。


日本語は、自然の変革対応して共生するためのものとなるのです。

相手が自然になるのです。

言語だけでは分からない感覚がより多く存在するのです。


基本的な感覚は言語そのものに継承されています。

環境を受け入れやすい日本語は、漢語を取り込んで独自の日本語を作り出しました。

ヨーロッパの言語を取り込んで、膨大な翻訳語や新語を生み出して、漢字の母国の中国へと送り出しました。

世界のあらゆる先端文明を取り込んで、それに対応する自己を作り上げてきているのです。


日本語がもとから持っている感覚は、原住民族の言語の感覚に近いものだと思います。

その言語が、世界の最先端の文明たちを取り込んで肩を並べる文化を築き上げてきたのです。

他の世界の最先端の文明国の言語と、根本的な感覚が大きく異なっているのです。


このことを知っておくことが、世界と向き合うためには大切なことではないでしょうか。

日本を理解しようとした外人たちがどうしてもわからない部分だと思います。

同じ感覚を持つことは不可能だと思いますが、理解することは可能ではないでしょうか。

理解するための努力は、それぞれの言語の中で可能なことですので、しっかり行なっていきたいですね。





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