2015年7月13日月曜日

明治が生んだ新日本語

言語の持っている基本的な性格というものがあるようです。

それは、その言語を使用する民族の精神文化を反映したものとなっていると思われます。

また、言語によって民族が持つ精神文化を継承し続けているものということもできるのではないでしょうか。


日本語は、地理的にも政策的(鎖国など)にも他の文化による侵略や影響をほとんど受けることなく全く独自に醸成されてきた言語です。

世界のどの言語と比べてもきわめて共通性の少ない独特の感覚を持った言語となっているものでもあります。


その日本語が初めて他の文化や技術を積極的に取り込んだのが明治維新であると言えるでしょう。

外圧によって崩壊した鎖国の政策は、嫌でも他の文化との接触の機会を増やし、そこでの交渉力によって国同士の力関係が決まってしまう環境に晒されることになりました。

あまりにもかけ離れた文化や技術は、国力や交渉力の低さを痛感することとなります。


そこでは、まずは対等に国力をあらゆる面で身につける必要がありました。

のんびりしていては、彼らの文化や技術を借りることしかできなくなり、実質的な植民地化への道を歩むことになります。

交渉力の源は物理的な力であり富です。

圧倒的な差においては、独自性よりも模倣の方が効果を上げることになります。

まずは、対等になることが優先されるからです。


数多くの事例を学ぶことができたことも恵まれた条件の一つであったと思われます。

プロシア、ドイツ、フランス、イギリス、オランダなどの様々な文化や技術に触れることができたことは、より多くの選択肢を持つことができたことにつながったと思われます。

多くの情報は、人と書物によってもたらされました。

それらは、言語によってもたらされました。


独特の言語を持った日本語は、他の言語との共有性がきわめて低いものとなっていました。

結果として、新しい文化や技術を学ぶための新しい言葉がたくさん必要になりました。

明治期に生み出された新しい日本語は、広辞苑一冊にも相当する20万語を優に超えていたと言われています。

やがてこれらの言葉は漢字の母国である中国にまで広がり、近代中国の発展に大きな寄与をしていくことにもなります。


現在の私たちが使っている言葉のほとんどのものが、この時に生み出された言葉であると言われています。

それ以前の言葉を表現するものとして「やまとことば」というものがあります。

「やまとことば」に明治の新語が加わったものが、近代日本語の姿ではないでしょうか。


この時に手本とされた国々の言語のほとんどが、目標志向型の言語として分類されるものです。

それに対して、日本語の基本的な性格は状況対応型ということができます。
(参照:目標志向と状況対応

言語の持っている性格はその言語を使用する人の性格の傾向に現れることになります。

さらには、知的活動は言語によって行われているので、物事を認知することや思考すること表現することにおいてもその傾向が現れることになります。


ほとんど正反対の性格を持った言語の文化や技術を、感覚ごと模倣することは不可能近いことになります。

したがって、表面的な模倣の言葉としての名詞がものすごい量で生み出されることになりました。

言語の基本としての構図や感覚は簡単には変えることができないからです。

動詞として増えたものは、新しい名詞に「する」を加えて動詞化して使うようになったものだと思われます。


大活躍したのが漢字であり、表意文字として持っている能力を生かしながら多くの音読み熟語によって新しい言葉が生み出されていきました。

ひらがなを主体として漢字を補助的に利用していたそれまでの形式が、大きく変化していくことになります。

新しい言葉を漢字で使っていることが、文化や技術の最先端を走っているという感覚を生んでいったこともあるのではないでしょうか。


かくて、初めて漢語が導入されて以来の大量の漢字が使われ始めるようになったと思われます。

わずか150年程度前の出来事です。

明治、大正、昭和を通じて最後の帝国として列強に名を連ねていく努力が延々となされていきました。


模倣から始まった文化や技術は、ときを経るにしたがって日本語の中へ融和していきながらも淘汰されていきます。

原意との微妙なズレは、日本語の持つ感覚として独自の感覚として醸成され継承されていくことになります。

共通語としての国語が定められ、一定のルールを持った言語として万人が身につけることになっていくのです。


そして70年ほど前には太平洋戦争がありました。

戦後においては見本となるべきはアメリカとなりました。

西欧で出来上がった精神文化と技術を、経済性と効率の論理によって大国となったのがアメリカです。

戦後の日本への指導はアメリカによって行われることになりました。


ここでも、新たな効率と経済性の論理に合わせて日本語に新たに加わっていくものがありました。

言語の持つ性格として、英語の持つ目標志向型はその典型ともいえる言語です。

正反対の言語としての性格を持つ日本語で理解できるのは、表面的な言葉上のものであり感覚としての理解はとても難しいものとなります。


何とか表面的にはこなしてきているように見えるのは、明治期に作り上げた新しい日本語のおかげではないでしょうか。

それでも基本的な性格が違うのですから、深いところでは矛盾するものが出てくるのではないでしょうか。

英語と日本語の感覚の違いを分かったうえでの理解は、まだまだこれからのようですね。