2015年9月10日木曜日

「鎖国」は本当に鎖国だったのか?

ある史実がおこなわれたときにはついていなかった名称が、その後につけられて名称によって記録されることがたくさんあります。

古くは「大化の改新」もそうですし江戸時代の「鎖国」もそうでした。

その史実を名称をつけて記録したことでその時使用した名称が史実として定着した例です。


実際の史実については、このようなことが多いのではないでしょうか。

事実が起こっているときは名称などを考えることもなく必死だったのではないでしょうか。

のちにこの事実を記録したり回顧したときにつけられた名称がその史実の呼び名として後世に伝わっていくのだと思います。


この時に、日本語の場合は時代・元号の呼び方や人の名前・起こった場所の名称などを利用することが多くあります。

史実の一部を記録した名称としてわかり易いものとなると思われます。

しかし、その史実の内容を表した漢字で表現された場合などでは注意が必要になります。


その例として「鎖国」を挙げてみたいと思います。

「鎖国」という言葉が最初に使われたのは1801年のことだと言われています。

オランダ商館付きの医師であったドイツ人のケンベルが書いた「日本誌」の中に取り上げた、日本人の海外渡航の禁止と対外交流を制限している幕府の政策を肯定している部分を「鎖国論」と名付けたものが始めだそうです。

オランダ通詞であった志筑忠雄が訳したものだとされています。


以来、「鎖国」という言葉は一人歩きをし始めます。

実際に江戸幕府により行なわれた政策やそれに伴う法令の名称に「鎖国」という言葉が使われたことはありませんでした。

「鎖国」という言葉は「閉鎖をした国」というイメージが前面に出た言葉であり、外国との交流を完全に遮断したような印象を与えるものとなっています。


実際に行なわれた「鎖国」にあたる政策は寛永10年(1633年)から寛永18年にわたる一連の法令によるものということができます。

もちろんこの時に行なわれた政策や発せられた法令には「鎖国」の文字は見ることができません。

また、「鎖国」という言葉の持つ外国との交流を遮断するといった内容とは異なっていることが分かります。


この時に行なわれた一連の政策では、以下の三点について行なわれているものです。
  1. 日本人の海外渡航と帰国の禁止
  2. キリスト教宣教師の取り締まり
  3. 幕府による貿易規制
1については段階を追って進められており寛永12年に発令されたの日本人の海外渡航・帰国の全面禁止によって確定しました。

2についてはポルトガル人の子孫の国外追放に続いてポルトガル人の出島への移住(島原の乱はこの後)がおこなわれました。
寛永16年発令のポルトガル船の来航の厳禁によって、国内キリシタンへの外部からの接触が遮断されました。

3については寛永18年に、ポルトガル人が去った出島に平戸にあったオランダ商館を移したことによって完成しました。

この結果、オランダと中国(明、清および華僑)との貿易は長崎に限定され幕府による貿易の管理体制が確立しました。


「鎖国」の行なわれていた期間であっても、オランダ・中国との貿易によって世界の情勢は把握していました。

言語を初めとした各分野の学問所を設けて専門の学者を育てていました。

また、琉球との交渉・交易については薩摩藩に集約し交易の権利を与えるとともに軍事的な防衛の責任も持たせていました。

同じようにアイヌとの交渉・交易については松前藩に独占的な交易権を与えながら防備の責任を持たせていました。

また、朝鮮との交渉・交易については対馬藩に任せていました。

幕府はこれらを統括することによって対外関係全体を統括していたのです。


海外との交易を遮断したわけではなかったのです。

幕府による貿易の管理体制を構築すると同時に、キリスト教による侵略を遮断しようとしたことだったのです。

このうち、朝鮮と琉球については正式な国交が結ばれている国として交渉交易の窓口を担当する藩を決めて、独占権を与えるとともに沿岸警備のための軍役を課して管理しました。

オランダ・中国については国交が結ばれていませんでしたが貿易が継続されていることから、相手の影響度を考慮して長崎に窓口を設けて幕府が直接管理することにしたと思われます。


決して国際社会からの孤立ではなかったということができます。

言葉としては「鎖国」に替わって、最近では「海禁」という言葉が使われるようになってきています。

「海禁」とは「下海通蕃の禁」を略した言葉ですが、明や清を中心にした東南アジア諸国に共通する海外渡航や海外貿易を禁止した政策のことです。


「鎖国論」と名付けられたころには「海禁」という言葉が伝わっていなかったこともあるでしょうし、「海禁」という言葉もあとから付けられた可能性が高いと思います。

「鎖国」という名の施策は文字通りの鎖国ではなかったということになります。


漢字は現在の世界で使用されている文字のなかで唯一の表意文字であると言われています。

文字そのものが意味を持っている文字です。

ある物や事象に対してつけられた漢字の名前は、その物や事象を表す言葉であると同時にその文字の持つ意味が存在することになります。


文字の持つ意味がその物や事象を正しく表現している場合にはまったく問題なく使用されると思われますが、短い漢字だけでその物や事象を説明しきれているとは限りません。

場合によっては、二面性を持つこともあります。

あるいはその物や事象の一面的な特徴だけを意味する場合もあります。


表音文字による名称であれば、その物や事象を表すための単なる記号ということができますが、漢字は文字自体が意味を持ってしまっていますので付けられた名称そのものの言葉が独り歩きする可能性が高くなっているのです。

文字的な意味だけではなく、その言葉が意味している内容をしっかりと伝えて理解することは漢字を使用する場合にこそ重要なことではないかと思われます。


「現代やまとことば」によって説明する習慣を身に付ておきたいものだと思います。
(参照:「現代やまとことば」を使おう

漢字という文字自体が意味を持ってしまっているために、漢字で表現されているだけでかなりの理解ができてしまいます。

しかし、本当に伝えたいことは漢字で書かれた文字上の意味ではないことも多々あります。


自分自身の持っている理解が、漢字の文字的な意味とは異なっている言葉もたくさんあるのではないでしょうか。

名称のつけ方も簡単にはいかないですね。

迷ったらひらがなが一番いい方法なのかもしれませんね。