現在の日本語で、いちばん初めに習う文字が「ひらがな」です。
規定においては小学校一年生に学習することになっています。
この時の基本形が50音表です。
母音と子音の組み合わせで見事にシステムされた50音表は、日本語学習者にとっては早見表でありバイブルともいえるものとなっています。
しかし、第二次大戦前までは初めて習う文字は「カタカナ」でした。
そして、カタカナによって50音表を覚えていたのです。
子どもたちがいちばん初めに使えるようになった文字はカタカナだったのです。
1933年(昭和8年)より使用された尋常小学校の国語の教科書の冒頭の文は、以下のようにカタカナであったことはどこかで見たり聞いたりしたことがあるのではないでしょうか。
「ひらがな」による50音表ができたのが1947年(昭和22年)ですので、それまでは仮名の50音表と言えば「カタカナ」のことだったと思われます。
50音の練習は「アイウエオ」とカタカナでなされるのが常識でした。
それでは、「ひらがな」による50音表ができるまでは「カタカナ」は日本語のメインであったのかいうと、決してそんなことはなかったのです。
50音表という大変よくできたマトリックスはシステマチックということもできると思います。
そのようにしてみてみると、システマチックの50音表にはカチッとした字体のカタカナの方が似合うように思えてくるから不思議なものです。
「カタカナ」の50音表に対して、「ひらがな」には「いろは」があったのです。
「ひらがな」は「いろは」によって覚えられて使用されていたのです。
「いろは」は「いろは歌」であり、システマチックな50音表に比較すると情緒的な要素を多く含む七五調による歌となっているのです。
それだけではなく、日本におけるあらゆるものの順番が「いろは」順になっていたのです。
日本語の辞書そのもの1889年(明治22年)の『言海』という国語辞典が作られるまでは、すべてが「いろは」順で作られていました。
「いろは」と「ひらがな」、「アイウエオ」と「カタカナ」、日本語はこの二輪によって支えられてきたようです。
『古事記』の記述として、応神天皇 (270–310) の治めていた頃の日本へ「千字文」と『論語』10篇が伝えられたことがあります。
『論語』はお馴染みの孔子の教えを記録したものですが、この「千字文」とはなんなのでしょうか。
「千字文」は中国において漢字を教えるために作られた長編の詩のことのようです。
南朝・梁 (502–549) の武帝が、文章家として有名な文官の周興嗣 (470–521) に文章を作らせたものとされています。
周興嗣は,皇帝の命を受けて一夜で千字文を考え,皇帝に進上したときには白髪になっていたという伝説があるそうです。
その内容は、漢字千文字を使って四字一句の詩を250篇作り上げたものであり、使用されている漢字が一字も重複していないものとなっているものです。
扱われている内容も、天文、地理、政治、経済、社会、歴史、倫理などの森羅万象について述べたものとなっています。
文字の習得と基礎知識の習得を兼ねたものとして、中国全土に普及し教科書的な扱いを受けた貴重なものとなりました。
『古事記』に記載された伝えられた時期は中国で作成された時期よりも前になっているために、記述が誤りなのかそれ以前にも「千字文」と呼ばれるものが存在していたのかどうかは分からないものとなっています。
しかし、日本に伝わってきたことは間違いのないことのようで、光明皇后が正倉院に寄進したときの目録『国家珍宝帳』(751年)には「搨晋右将軍羲之書巻第五十一眞草千字文」があります
国宝の『眞草千字文』がそれだと推定されているようです。
漢字を学習するための初級テキストとして使用されるとともに、「いろは」と同じように「千字文」に登場してくる文字の順番が番号として使用されることもあったと言われています。
そこで使用されている漢字は、現代の日本の常用漢字以外のものは233しかなく初級学習用としての完成度の高さを示しているのではないでしょうか。
この「千字文」に日本における「いろは」との共通性を感じるのは私だけではないと思われます。
歌が先にあったのか文字が先にあったのかは作る段においては大きな違いではありましょうが、結果としてできたものがその言語としての学習のためのスタンダードとなりあらゆる層に浸透していったのです。
そしてその言語使用者の常識として万人に共通のものとして定着していったのです。
「千字文」においては、方角においては「北」が入っていなかったり、季節においては「春」が入っていなかったりして初学者に対して欠けているものがあるところからは、詩が先にあったのではないかと思われます。
「いろは」歌についても、文字が先にあってその文字を一文字ずつ使いきって歌を作ることを考えると難しいものになりますが、歌が先にあったと考えると途端に難易度が下がることになります。
「いろは」歌のための歌でなかったとしても、ある歌が存在したものを利用して作ることは可能ではなかったのでしょうか。
「いろは」歌には昔から数多くの暗号が隠されていると言われています。
(参照:怪しすぎる「いろは」歌)
その内容からすれば、決して幼い子供たちに初めの言葉として教えていいものなのかどうかは疑問にもなってくるのではないでしょうか。
あるいは、あまりにも常識になっているものだからこそ、ざまざまな捉え方がなされているのかもしれないですね。
「いろは」歌を作った人は不詳とされていますが、「千字文」を知らなかったはずはないと思われます。
「いろは」歌ができたことで、日本語の基本音が47音になったと考えるとこともできそうですね。
今から思っても、「アイウエオ」には「カタカナ」が似合いますし「いろは」は「ひらがな」でなければならないと思えますね。
それぞれの語感を感じながら使いこなしていきたいものですね。