2014年3月4日火曜日

歌で鍛える日本語

日本語はどんな文章を書いてもとても美しく表現できるものです。

これだけ豊富な表現力をもっている日本語を生かそうとすると、その成り立ちに遡って相応しい使い方を探さなければなりません。


日本語の原点は話し言葉です。

漢字の音読みは話し言葉よりも文字のほうが先に導入されましたが、日本語の原点としてそれ以前にあったものは、話し言葉としての「古代やまとことば」です。

話し言葉だけでは、記録として残りません、

「古代やまとことば」が文字の記録として残っている最古のものは万葉集でしょう。

万葉仮名と言われる漢字の音読みで「古代やまとことば」を書き表したものです。

これがやがて簡略化されてひらがなとなっていくわけです。





万葉集に多くの歌が載っており、文字のない時代より各地で歌が詠まれていたことを示しています。

和歌と言われる分類の歌であり、五・七・五・七・七、の形式となっています。

歌の形式として有名なものは、和歌と俳句がありますが、それ以外にも、五・七、の文字を数を重ねながらつなげていくものもあります。

万葉集には長歌と言われる形式(五・七、を3回以上繰り返し最後に七を加えるもの)も多く入集されています。


音としての日本語の基本が「古代やまとことば」の歌にあることは間違いないと思われます。

その文化は、ひらがなを継承していくことによって、現代でも川柳や標語の語呂の良さとして感じられるものとなっています。

文字に書くよりも音にして口にした方がリズムが整い、より馴染みやすくなるものと言うことができるでしょう。


決まりきったルールである文字数のなかで表現をしなければならないときに、人はさまざまな工夫をします。

略語を生み出したり、たとえ言葉を生み出したりします。

さらに、公の歌詠みの席で秘密の意思の疎通を図る場合に、歌の中に言葉を隠します。

掛詞(かけことば)として別の意味を持たせて伝えます。

当事者だけにしかわからない様な仕掛けを施します。


自分の歌詠みの前に一言付け加えて、伝えたい言葉が隠れている場所を事前に指示したりします。

有名なものが冠採り、沓採りと言われるものです。

和歌としてお題に沿った歌を詠いながら、各句の頭の文字をつなげると別の意味が隠されているものが冠採りです。
各句の最後の文字に隠されているものが沓採りです。

両方合わせて沓冠(くつかむり)と言ったりします。




古今和歌集には、天皇家を左右するような秘伝が隠されるとされています。

「古今伝授」として一子相伝で継承されてきた何系統かのものが、最後に残っていた継承者である細川幽玄から宮中に戻されて以来、一般には触れることができなくなりました。

そこには古今和歌集の様々な読み方による、天皇家の秘事が隠されていると言われています。


現代の歌でも変わりはありません。

標準的な拍子である4分の4拍子には、ことばとしての五音と七音が良く合います。

字余りも、字足らずもなくきれいに収まります。


歌詞を書いている人は知らずにやっているのかもしれませんが、限られた文字数で、話し言葉で、わかりやすい内容にするためには「やまとことば」を使うのがいいようです。

音として「やまとことば」を継承しているのがひらがな言葉です。

文字としては漢字を使いますが、漢字の訓読みはひらがな言葉です。

ひらがな言葉と漢字の訓読みを合わせたものが「現代やまとことば」です。


自分の好きな曲の歌詞を見てみてください。

「現代やまとことば」がいっぱいではないですか。

「現代やまとことば」だけでできている、漢字の音読みが全くない歌詞もたくさんあります。

心にしみる歌詞は、現代日本語の表現の見本のようなものです。


覚える時は、文字を見るかもしれませんが、いったん覚えてしまえば話し言葉として伝えることに集中しますね。

モニターやプロンプターを見て歌っているのは、どうも思いが伝わりません。
まだ、譜面を見ながら歌っている方が伝わる気がするのですが。




さまざまなジャンルの歌があります。

歌詞のない歌や意味の分からない詞もたくさんあります。

日本人はメロディよりも歌詞のほうが感じやすくできているようです。

しかも、技巧的なメロディよりも単純なメロディにのった心にしみる歌詞が大好きなようです。


歌詞には、参考になる表現がたくさんあります。

たまには自分で歌詞を書いてみることも表現を磨くことにはいいのではないでしょうか。