2014年5月20日火曜日

ここにもあった日本語の特徴

今年(2014年)の初めに、日本語の持つ特徴のなかで比較的目が向けられていなかったことを取り上げた内容を書いてみました。
(参照:気がつかなかった日本語の特徴(1)~(6)

しばらく時間が経ちましたが、また新たな発見がありましたので触れておきたいと思います。


日本語を言葉としても技術としても磨き上げてきたものは、和歌にによる表現だったと思われます。

漢語が導入される前の文字のない時代から詠み続けられ、現代においてもその形式を保持したまま川柳や短歌として一般に浸透している二千年以上にわたって存在しているものです。

文章表現の原点が和歌にあることは間違いのないことだと思われます。

言い換えれば、日本語は和歌によって磨かれてきたともいえるのではないでしょうか。

そして、この和歌の感覚は心地よいリズムとして表現方法の基盤になって私たちの中に継承されてきているものと言えるでしょう。


七文字五文字の言葉を中心としたリズミカルな音の流れは、最短形の俳句から長歌・連歌まで表現方法があります。

今でこそ、和歌というとほとんどの場合は短歌のことを言うようですが、本来は俳句、短歌、長歌、仏足石歌、旋頭歌、など多岐にとんだものです。

その基本はすべて七五調の言葉の流れにあるものです。

現代でも川柳や標語で耳にする七五調は、リズムよく耳に届いてきます。


特に広く詠われたものが短歌であり、時の天皇が編纂を命じた勅撰集が数多く残っており記録をたどることができます。

三十一文字という限られた文字数の中に込めた思いは、時代を経るにしたがって様々な表現方法を編み出していきます。

人の心情の典型である恋愛を詠ったものも数多くあり、当時の有識者たちの表現の場あったことは疑いのないことだと思われます。


限られた文字数と音の制限のなかでの、しかも直接的な表現をできるだけ避けようとすることが良しとされる環境においては、限りなく研ぎ澄まされた表現技術が磨かれていったのではないでしょうか。

短い文字数で言い表すために、省略の技法が進んだことでしょう。

ひとつの言葉に複数の意味を持たせた技法が進んだことでしょう。

書かれた文字以外の意味やニュアンスを伝える技法が進んだことでしょう。


これらの技法が駆使されたものを文字面から理解することはとても難しいこととなります。

誰が、いつ、どんな環境において詠んだものかという但し書きが必要になってくるのはそのためです。

詠まれた歌を客観的に見るのではなく、詠み人と同人化した感覚が必要になってくるからです。

これは単なる感情移入とは異なります。

自分自身が詠み人として同じ環境に身を置くという疑似体験によって詠まれた歌を見る必要が出てくるのです。

そうでないと、そこに省略されたものや例えられたもの、文字以外のニュアンスが理解できないのです。


各勅撰和歌集においても、歌以外の説明は限られたものしか書かれていませんが、歌を理解するにはとても貴重な内容となっています。

現代から見たら、もっとたくさんの説明書きがあったほうが理解しやすいのですが、今更望むべくもありません。

また、読み手の想像を掻き立てる意図もあるのではないかと思われます。


これらのことが、欧米言語の思考から見ますと「あいまいさ」として映るものだと思われます。

「行間を読む」「心情を読む」「以心伝心」「一を聞いて十を知る」などの感覚を伝えることはとても難しいことだと思います。

ひとつの言葉で正反対の意味を表すことによって、揺れ動く心情を表現している技法などは、日本語を母語として持つ日本人であっても気がつきにくいことです。


特に、現代では学校教育において、和歌の解釈において一元的な解釈を定めることによって試験のための教材として扱おうとしてきた傾向があります。

本来の和歌の読み方は、読み手の気持ちや環境によって受けとる内容が変わってもいいものでした。

恋の歌などは、わざと受取った相手にしかわからないような内容で詠われていたりします。


それぞれの技法が個別に存在するのではなく、同時にいくつもの技法を駆使しながら自分の思いを表していったものではないでしょうか。

景色を読みながらも、その景色がそのように見える自分を映していたり、自然の変化を詠みながらも自分の心の変化を映していたりします。


言語としての絶対的な音の少なさを利用した見事な技ではないでしょうか。

ひらがなを編み出してきた能力をもってすれば、音としては文字以前から持っていたはずの濁点を表記する技術はとっくにあったはずです。

濁点を表記しないことによって言葉としての広がりがさらに増えることを考えると、ひらがなにおいて敢えて濁点を表記しなかったと考える方がよさそうです。


これらの技術によって、特徴として表現されていることは多岐にわたっています。

正反対のことを一つの言葉で言い表すことができることや二つ以上ことを一つの言葉で言い表すことなどは大きな特徴と言えるでしょう。

あらゆる場面においてあらゆる言葉が省略されることがあります。

それでも他の言葉から省略された内容をうかがい知ることができることも大きな特徴でしょう。


それによってどちらかに限定した断定を表しているのではなく、揺れ動いている心情であったり、どっちつかずの状況であったという中間領域の微妙な表現がなされているのではないでしょうか。

YES/NOや右/左ではない、その間の中間領域を表現することが得意な言語であると言えないでしょうか。


20世紀の後半には、自然科学の分野において偉大な発見がつづき、絶対的な二元論的な捉え方から相対的な中間領域的な捉え方へのシフトが起きました。

2000年以降のノーベル賞の自然科学三分野(物理学、化学、医学生理学)の受賞者数の世界2位が日本人です。

1位のアメリカはぶっちぎりで多いですが、原国籍ではアメリカ人でない人がたくさん含まれていることはご存じのとおりです。

2位の日本人の受賞者数は全ヨーロッパの合計をも上回っているのです。


日本語を母語として持っている人の思考は日本語で行われています。

日本語の可能性はまだまだいくらでもありそうですね。





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