2014年5月21日水曜日

「ひらがな」の成り立ち

日本語の独特の文字としての「ひらがな」については何度か触れてきていますが、その成り立ちについてはよくわかっていません。

残されている資料に基づいて推測していくしかありませんが、元が漢字であることは間違いがありません。

現在に至る流れを少し見てみたいと思います。


文字のない時代の話ことばとして存在していた「古代やまとことば」の成り立ちについても、ほとんどわかっていないと言った方がいいでしょう。

5世紀を中心として古代中国の文化を導入し始めたのが、文字との出会いであると思われます。

地理的な問題もあり大陸関係がかなり限られたものであったことは歴史的な事実だと思われます。

ほとんどの文化が書物によってもたらされたために、中国文化に触れるためには漢語を習得する必要がありました。

この時に話し言葉を含めてすべての言語が漢語にならなかったということは、話し言葉としての「古代やまとことば」の定着を確信させるものであると思われます。


古代中国の例に倣って、勅撰書物の作成が行なわれていきました。

その代表が奈良時代の「日本書紀」(720)と平安初期の「令義解(りょうのぎげ)」(833)であろうと思われます。

これらは漢語で書かれたものとなっています。


やがて、平安時代になると勅撰書物の対象として定着したのが詩歌です。

「凌雲集(りょううんしゅう)」(814)、「文華秀麗集(ぶんかしゅうれいしゅう)」(818)、「経国集(けいこくしゅう)」(827)の三つが勅撰漢詩集として編纂されました。

その目的は「凌雲集」の序文の冒頭に引用された、魏の初代皇帝である文帝の次の言葉です。

「文章は、経国の大業、不朽の盛事である。」


勅撰の漢詩集は平安期初期の上記の三集で終わりを告げます。

その後も漢詩集は作られていますが、勅撰のものはありません。

代わりに「勅撰集」の名を独り占めしていったものが勅撰和歌集です。


勅撰和歌集の隆盛は、日本文化が中国文化の模倣を脱して、独自の表現へと転換していていったと解釈することができるのではないでしょうか。

「文章は、経国の大業、不朽の盛事である。」と言う、文学を重んじる基準を中国から学び、その一方で古典中国語の漢詩から「やまとことば」の和歌へと変えていったのでしょう。


勅撰和歌集の初めは醍醐天皇の勅命により、「万葉集」に選ばれなかった古い時代の歌から、選者たちの時代の歌までを選んで編纂した「古今和歌集」です。

奏上されたのは905年とされていますが、それ以降の歌も含まれており完成はさらに遅くであろうとも言われています。

「万葉集」においては、その成立がよくわかっておらず勅撰説もありますが、現在では大伴家持ら複数の篇者によってまとめられたものではないかと言われています。

したがって、勅撰集としては扱っていないのが一般的となっています。

その成立年代もはっきりせず、780年頃から830年頃までではないかと言われています。

史料的にも「万葉集」が平安中期以前のものには登場してこないために、現在では確かめるすべがありません。


ただし、「万葉集」には漢語から仮名への変遷を見るためのきっかけとして、仮名の原型であろうとされる「万葉仮名」を見ることができます。

仮名とは言ってもその見た目は漢字そのものであり、現代の私たちが見ただけでは漢語との区別はつきません。

ここで使われているのは和歌として詠われている「やまとことば」を音として表現するための借字です。

漢語の音を利用して、話し言葉である「やまとことば」の音を表したものです。


当時の「古代やまとことば」がどれだけの音数を持っていたのかは、全くわかっていません。

しかし、最古の「いろは」が700年台半ばには確認できることから、基本音としての47音(「ん」を除く)はかなり前から存在していたのではないかと思われます。


「ひらがな」としての字体が決まったのは、1900年頃であり小学校令として文字と音が一対一で対応するようになりました。

この段階で元になる漢字も定められ、その漢字の草書体から独立したものとして「ひらがな」が確定しました。


万葉仮名のころには音に対して借字する元の漢字も定まっていませんでした。

「やまとことば」としての同じ音に対しても何種類もの漢字が充てられています。

借字の数は数百とも言われています。


借字についての草書体化が進んでいくことによって、漢字との区別がしやすくなってきますが、「ひらがな」が公的な文書に現れてくるのは「古今和歌集」が最初だと言われています。

それ以前の「ひらがな」になる前の草書体の文字を草仮名と呼ぶことがあります。


「古今和歌集」の編者でもある紀貫之によって書かれた「土佐日記」(935)は、後世の「ひらがな」とほぼ同じ字体が使われたと言われていますが、作者が女性に託して書かせたものではないかと言われています。

このころには、借字から草書体化して仮名として使われていた文字は100~200種類であったと思われます。

ひとつの音に対して一つの文字ではなかったようです。

同じ作品の中での同じ音に対しても、複数の仮名が使われていたようです。


小学校令で定められた字体以外の仮名のことを変体仮名(異体仮名)と呼びます。

「い」の元となっている漢字は「以」ですが、変体仮名の借字としては「伊」や「異」などもあり、これらの漢字が草書体化したものは仮名としても当然違ったものとなっています。

同じ「ひらがな」の字体になっていても元の漢字(字母)が異なるものや、字母が同じであっても草書体化の過程において「ひらがな」の字体が変わってしまったものなど、様々な変化仮名が存在しています。

「いろは」に充てられている漢字も、時代や出典によってさまざまなものがあります。


日本語は「ひらがな」だけですべての表現ができる言語です。

文字にした時の読みにくさは伴いますが、話し言葉としてはすべてを「ひらがな」で伝えることが一番わかりやすい伝わり方になっています。

一番初めに身につける言葉であり、誰でもが使える言葉だからですね。

日本語の原点は「ひらがな」にあります。


漢字倒れ、カタカナ倒れ、英語倒れにならないようにしたいですね。
日本語を一番わかりやすく伝える言葉は「ひらがな」です。

もっと大切にしたいですね。


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