2014年7月9日水曜日

日本語の最大の欠点

これまで日本語の特徴については何回も触れてきました。
(参照:気づかなかった日本語の特徴(1)~(6)ここにもあった日本語の特徴など)

そこではあくまでも、他の言語と比べた時の特徴として捉えています。

それがメリットして出るか、デメリットとして出るかはその使用環境にもよりますので、敢えて長所短所的な表現は避けてきました。

なるべく客観的に日本語としての特徴を見ていただきたいという狙いもありました。


今回は、それらの特徴を踏まえたうえで、日本語を「母語」として「国語」として持っていることによる欠点を見てみたいと思います。

長所短所で言えば明らかに短所であり、有利不利で言えば明らかに不利になるであろうと思われることです。

それは使いこなすことが極めて難しい言語であるということです。

特に、その表現するための技術は、言語としての統一性もなく使う人の個人頼みになっていることです。


その原因は日本語の特徴の様々なものが影響していますが、大きくは以下の特徴が影響していると思われます。

  • 学ぶべきことがたくさんありすぎて、学校教育ではほとんど言語技術を身につけることができない。
  • 表現方法、特に文法がとても緩いものになっていて、表現の自由度があまりにも高すぎてほとんど無限の表現方法がある。
  • ひな形と言われる表現形式があらゆる分野に存在し、それに合わせさえすれば考えることなく形式ができてしまう。

これらの根本にあることは、日本語そのものが習得するのに長大な時間を必要としていることがあります。

恐らくは、世界中の義務教育を見てみても、すべての期間において「国語」を習得し続けているのは日本と中国くらいだと思われます。

共に、漢字という表現方法を持っていることが大きな要因となっています。

中国においては、日本のひらがなのような簡易言語がありませんので、漢字がわからないと基本的なコミュニケーションすらままならないことになります。

中国の小学校6年間で習得する漢字の数は約4000語と言われており、日本の小学校の4倍の数字となっています。

それでも、中国の中学生は新聞の一般紙の読解が完全にはできない状況です。


日本においては、小学校一年生であっという間にひらがなの読み書きを終えてしまいます。

そのあとは漢字の習得と、語彙の増強を基本とした読解の技術を磨くことに専念します。

中学生でも、一般紙の朝刊の読解ができないことが多いのは、中国と同じようなレベルではないでしょうか。

しかし、漢字がダメならばさらなる基礎的な共通語としてひらがながあるという二段構えの言語構造は、世界でも類を見ない素晴らしいものとなっています。

漢字かな混用文においては、ひらがなだけの拾い読みでもなんとなく意味が分かるものもたくさん存在しています。


小学校中学年からは、ひらがな、漢字に続いて、ローマ字(アルファベット)を学びます。

最近ではさらに英語までも授業に入ってきているようです。

日本語の習得が満足にできていない段階で、さらに畳み掛けるように外国語の習得が行なわれていくことになります。


日本語教育の欠点は、身につけるのに大変な労力を必要とすることと、そのために表現する技術をほとんど身につけることなく社会に出ていくことになることです。

個人としての習得実績を測る大学の入学試験や入社試験においても、「国語」については書き取りと文章の読解がほとんどであり、個人の言語技術を確認する内容はほとんどありません。

大学を卒業するまで、個人としての言語技術についてはほとんど必要としなくとも生きていけるようになっています。


社会に出たとたんに、様々な環境における言語技術が求められ使い分けをする必要に迫られます。

小さな組織であればあるほど、直接コミュニケーションをしなければならない相手が多岐にわたりより多彩な表現能力が求められます。

大きな組織ほど部門も細分化され同年代も多く、他部門や異年齢との接触の機会の少ない環境になります。

学校の延長のような環境は、大企業の専門部署ほど近いものとなっています。


学生の就職したい先が大企業や公務員になるのは、本能的に環境の変化を少なくする選択をしているからではないでしょうか。

それでも、新入社員のうつ病や新型うつ病が減らないのは、明らかに本人や周りの人の表現技術の未熟さによる、肝心なコミュニケーションの欠如によるものだと言われています。


基本的な言語としての習得期間の短い他の言語においては、早いところであれば小学校の低学年から言語の表現技術の実践が行なわれます。

自分のことや意見を表現することから始まって、複数の仲間と議論をすることや相手の意見を批判することを当たり前のようにやるようになります。

日本の教育内容にはないものがたくさんあります。


日本においては基本的な言語の習得をするのが小学校の4年生頃と言われています。

しかし、それ以降も行われていることは、漢字の書き取りによる語彙の増強と断片的ないろいろな文体による読解の訓練ばかりです。

一部では表現の方法として作文や読書感想文などがあるようですが、こなすことのみが目的となっており言語技術の学習にまでは至っていないのが現実となっています。


学生時代に身につけられなかった言語技術については、必要に迫られてある程度は社会に出てから身につけます。

しかし、それは自分がいる環境の中だけで通用する極めて偏った言語技術となります。

そのころに、広範囲の人との接触を持って表現をしなければならない環境にある場合に初めて、言語による表現技術の必要性を感じることになります。


世界の他の人との接触においては、表現技術はとても大きなものとなります。

「以心伝心」や「一を聞いて十を知る」は全く通用しません。

相手の言語を使う必要はないのです。

日本語でしっかりとした表現ができれば、下手な英語を話すよりもよほど役に立つのです。


木下是雄さんと言う物理学者がいらっしゃいました。

学生たちを指導している中で一番時間を取られるのが、理論や実験ではなく論文の書き方であることに悩んでいました。

理系の論文ですから、英語での論文になります。


約10年も英語をやってきて、何で論文ひとつ満足に書けないのかと考えながら指導していたそうです。

その原因が見つかった時に書かれた本が「理科系の作文技術」という名著になりました。

「こいつらは、英語ができないんじゃない。日本語ができないんだ。」とわかった時、ほとんどのことが解決したそうです。


日本語を「母語」「国語」として持っている人には、他の言語を身につけることは簡単にできます。

海外のいろんな学者が日本語を持っている可能性について言及しています。

外国語を学ぶ暇があったら、日本語を磨いた方がいいのです。

すべての第二言語は、頭の中で第一言語(「母語」「国語」)からの翻訳を行なっています。

バイリンガルは、その翻訳の効率が良いだけです。


第二言語でも思考ができないことはありませんが、第二言語で思考ができるようになるにはかなりの使い込みが必要になります。

どんなに使い込んでも、第二言語での思考が第一言語の思考力を越えることはあり得ません。


日本語の最大の欠点である、表現技術の欠落は個人で補うことしかできません。

コミュニケーションのスキルや話し方教室などは、社会に出て必要に迫られて身につけようとしている人がほとんどです。

海外から来たテクニック的なことではなく、日本語の持つ本来の姿とそれにふさわしい表現技術を教えるところを見たことがありません。


日本語を持っている人の最大の弱点が、アウトプットのチカラであり、伝える相手に応じた言語技術であることをわかっているだけでも、対応が違ってくると思います。

特に、海外の人と接することが多い人は、すでに気が付いているのではないでしょうか。


日本語ほど豊かな表現力持った言語はないと思います。

しかし、身につけるのが精いっぱいで、その技術を磨くことなく社会に出ていくことになります。

言語技術・表現技術を磨きあげてきた海外の人たちと交渉をする必要が出てきます。


せっかくの日本語を使いこなすだけの言語技術は身につけておきたいものです。




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