2015年8月3日月曜日

象形文字と表意文字

漢字が文字自体で意味を持っている表意文字であることは何度か触れてきました。

また、現在確認されている言語として使用されている文字のなかで、おそらくは唯一の表意文字であろうと思われます。

断定ができないのは、現在世界のすべての言語で使用されているすべての文字が明らかになっている訳ではないからです。


現存する言語の数は、5,000とも8,000とも言われていますが文字を持つ言語はそのうちの20%程度ではないかと言われています。

言語の数も日本語と琉球語とを区別するのかどうかといったことまで考えると、かなり曖昧なものであると言えます。


漢字は、その起源が世界の最初の文明のひとつと言われる中国文明(今は、黄河文明とは言わないそうです)における甲骨文字であることが定説になっています。

現代にまで伝わる歴史も定説として確定したものとなっており、ギネスブックにも現在使用されている最古の文字として掲載されています。


現在世界中で使用されている文字は、そのほとんどが表音文字と言われる文字自体が意味を持たず音のみを表している文字となっています。

世界の最初の文明と言われるエジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、中国文明はそれぞれ代表する文字を持っていました。

エジプト文明・・・ヒエログリフ
メソポタミア文明・・・楔形文字
インダス文明・・・インダス文字
中国文明・・・甲骨文字


これらの文字はすべて物や形を表す象形文字でした。

まだ見つかっていない古代文明が存在した可能性もありますが、世界の文字はここから始まっているものと思われます。

明確に起源としてつながっているものが漢字と甲骨文字ということになります。

甲骨文字の中には、現代の私たちが見てもあてはまる漢字を思い浮かべることができるものがたくさんあります。


表音文字は表意文字からそのとの読み方だけを取ったものとして生まれたと言われています。

やがてその音を表すための象徴的な記号として単純化していったものと考えられます。

日本語のひらがなを考えてみましょう。


もともとは、漢語の読み(音読み、漢語読み)を利用して文字のない時代に使われていた「古代やまとことば」を表記したのが始まりだと言われています。

音を表すためだけであれば複雑な文字である必要はなくなり、草書体化していって単純化したものがひらがなとなりました。

ひらがなの元となる漢字(字母)が存在しており、字母は表意文字ですがひらがなになったことによって表音文字となったのです。



表意文字は、古代文明における象形文字の影響が色濃く残ったものということができるでしょう。

そのぶん表意文字を使った言語を持っているということは、その言語の感覚の中に長い歴史文化を継承し続けていることになります。

時代を経過して表現や言葉が変化してきていたとしても、基本的な語順や言葉はそのまま継承されてきているのです。


早くからラテン語という表音文字によって作り上げられた文化は、文字に対しての感覚が私たち表意文字を持っている者と異なっています。

表意文字の一番の特徴は、一文字ずつが意味を持っていますので形に意味があることです。

それによって文字そのものに芸術性があることになります。

漢字を持つ民族における書道は、絵画や彫刻などの芸術と同じように書道芸術が評価されているのです。

文字に意味を持った美しさを感じる感覚があるのです。


中国語は漢字だけしかありませんので、完全に表意文字だけの文化となります。

歴史文化の感覚として表音文字の感覚とはうまく折り合うことができません。

恐らく世界で唯一の表意文字だけで成り立っている文化だと思われます。


日本語は漢字を使っていますが、その漢字はすべてひらがなと共存することによって生かされているものです。

日本語の基本はひらがなであり、表意文字である漢字をその特徴を生かして上手に使いこなしているということができます。

漢字が全くなくなったとしてもひらがなだけで言語として成り立っているものとなっています。

漢字があることによって、よりわかり易いもの伝達しやすいものとなっていることになります。


更には、日本語は日常的にカタカナやアルファベットを使用しています。

時には他の言語をそのまま使用したりすることに対してはとてもオープンな感覚を持っています。

明治期に先進国の文化を紹介するために多くの翻訳本が書かれたそのお陰でもあります。


言語をいろいろな形で見てみるにつけ、どうしても日本語は世界を理解するために発展してきた言語ではないかと思ってしまいます。

その中でも独自の言語を長い間守りながらその時々の世界の先進文化を取り込んできました。

その結果、世界のほとんどの文化が日本語に翻訳されて町の本屋に並んでいるのです。


東南アジアの優秀な学生は、アメリカやヨーロッパで学ぶことよりも日本語を勉強して日本で学ぶことを選択する学生が多いそうです。

距離的な負担や経済的な負担が理由だけではないようです。

彼らの国では高等教育の専門図書館にしかないような資料が、日本では街の本屋に並んでいるからだそうです。

あらゆる分野のあらゆる階層のものが日本語になっている環境は、アメリカやヨーロッパに行くよりもはるかに近い日本で世界を学ぶことができることにつながっているようです。


こんな言語を持った日本は、何か世界におけるもっと重要な役割があるのではないかと思ってしまいます。

日本語を母語として持っているからこそできる世界的な貢献は、まだまだたくさんあるのではないでしょうか。

身近なところでそんな貢献ができていくといいですね。


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