いつもならばお彼岸の前後まではまだ汗をかきながら歩いていた気がします。
暦の上では二十四節気の「秋分」が秋のど真ん中になると思われますが、現代の暦とは感覚的に1ヶ月少しずれている感じではないでしょうか。
夏の暑さの記憶が残っているうちに、一気に冬支度まで走って行かなければならない感覚が最近の秋の様子ではないでしょうか。
秋を表す言葉は大きく分けて三種類のものが見受けられます。
夏の暑さの名残を表現したもの、冬の寒さの先取りをしたもの、もう一つが春を表す言葉を使いながら穏やかな気候を表したものとなっているようです。
「小春日」などという表現はまさしく春を利用した表現ですね。
そのように見ていくと、春夏冬に比べると秋ならではの表現というものがそれほど多くはないように思われます。
秋気(しゅうき)と書いて秋らしい雰囲気があることを意味することがありますが、あまり一般には使用されていない例ではないでしょうか。
できるだけ秋ならではの表現を中心に秋の言葉を集めてみました。
色なき風
秋風の別名です。秋風には「金風(きんぷう)」「素風(そふう)」「白風(はくふう)」などの呼び方がありますが、日本語の持っている感覚ではどうしても訓読みの方に軍配が上がりますね。
色のついていない風とは、そこにどんな色を付けるのかという自分への問いかけすら感じさせる日本語らしい表現ですね。
花野人(はなのびと)
花野は秋を表す季語となっています。秋草の花が咲き乱れている野原のことです。
何気なく咲いている野生の花野のを歩いている人は、花を見て何を思い何を感じていくのでしょうか。
花野原(はなのはら)、花野風(はなのかぜ)、花野道(はなのみち)などという使われ方もあります。
花は春をイメージしますが、花野は秋を表すことが日本語の微妙な感覚ですね。
秋入り日(あきいりひ)
「入り日」は秋を特定するものではなく一年中使われる言葉ですがどうしても秋を思い浮かべてしまいますね。夏の夕焼けのようなはっきりとした色ではなく、微妙な色が重なり合った落ち着いた色が透き通った感覚を伴っているのではないでしょうか。
和の色の典型の一つと言えるのでしょうね。
雁渡(かりわたし)
雁は晩秋を表す言葉の一つです。雁を北から運んでくる冷たい北風のことです。
季節の変化や風の変化に敏感である漁師が名付けたもののようです。
雁が見えるようになると雨交じりで海上も荒れることが多い伊豆や伊勢の地方の漁師が名付けたとされています。
野分(のわけ)
おなじみの言葉ではないでしょうか。野原を分けてしまうような強い風のことですが、「野」という言葉が優しいイメージを持ってしまっていますのでなかなか暴風雨とは結びつきにくいようです。
イメージとしては写真のように稲穂がかき分けられる程度の優しい風として捉えている人も多いようですね。
「野分雲」というちぎれ雲が空を走り、「野分波」が海や川に波立ち、「野分水」が洪水となって荒れ狂うこともあるような暴風雨です。
「野分」を優しく感じてしまう現代の感覚からしたら、「ビル壊し」とでも言った方が合っているのかもしれませんね。
雨や風についての表現を見てみましたが、秋を代表する産物もたくさんありますね。
とくに収穫の秋と言われるほどですので農作物や魚などはそのままで秋を表すことも多いです。
秋刀魚(さんま)はそのままで秋を代表する魚となっています。
馬肥ゆる(うまこゆる)
食欲が旺盛になる季節ということですが、食欲の秋という言い方もありますね。冬の寒さに向けて馬の皮下脂肪が厚くなっていく時期であることを表したものです。
刈田(かりた)
稲を刈り取った後の田に、刈り株だけが整然と並んでいる様子が浮かんできます。手塩にかけて育ててきた稲を刈り取って、一年の収穫を手にした満足感や安心感を伴った表現ですね。
田へのかかわり方によってさまざまな感慨がある言葉となっているのではないでしょうか。
山装う(やまよそおう)
秋のもう一つの名物である紅葉が山に広がって化粧したように見えることから来た表現です。直接的に紅葉を表現することよりも、間接的に表現した方が日本語の感覚をくすぐられますね。
同じような言葉に「野山錦(のやまにしき)」があります。
夏から冬に向けての季節としての秋は、気がつき始めると日一日と冬に向かっていくことを感じることになりますね。
一年の収穫を手にする季節でもあり、厳しい季節を迎える準備をするときでもあります。
12月の冬至に向かって日の入りが一気に早くなっていくことを感じる時期でもあります。
季節の移り変わりを間近に感じることができる時期でもあります。
季節の変化を楽しむ余裕を持っていきたいですね。