2017年6月28日水曜日

「あゆ」と「なまず」

今が旬の魚に「鮎(あゆ)」があります。

「旬」という意味も最近では「はやりの初め」や「市場に出回り始めるころ」といった使われ方が多くなっており、本来の意味であった「味の乗ってきた最もおいしい数も出回る時期であったり、最盛期をあらわす」ことからは離れ始めています。

この「あゆ」という言葉の音がどこから来たものかは諸説ありますが決定打はありません。

魚の素早い動きをとらえてアイヌ語で矢(アイ)のようだとしたところから転じたものではないかとする説もありますが、今となっては確認するすべがありません。


それでも漢字としての「鮎」については、誰がやったものかは別にして、この魚を占いに使ったことからこの漢字が「あゆ」の読みとして充てられたという説が有力となっています。

その中でも一番具体的なものが神功皇后が朝鮮半島の新羅を攻めたときに占いに「あゆ」を用いたために占いに使う魚ということで「鮎」になったということになります。


この時期は西暦でいえば266年ごろとなっており、遣隋使の開始とされる600年や古事記の編纂とされる712年から見ればはるか昔でありとても漢字が広がっていたとは思えない時期です。

「さかなへんにうらなう(魚へんに占)」という漢字が作り出せるまでの漢字に対しての習熟度があったとはとても思えない時期です。
それどころか中国との関係や漢語そのものにすら触れていたかどうか怪しい時期ということができます。

古事記や日本書紀(記紀)においては「あゆ」は「年魚」として表していると言われています。
その頃より「あゆ」という魚は認識されていたのではないでしょうか。

日本独自の漢字の使い方ができるようになったころに神功皇后の征韓の故事をいわれとして「鮎」という文字を作り出したのではないでしょうか。


日本語の「あゆ」と同じ意味で中国で使われていた漢字としての「鮎」を持ってきたわけではないことは、中国では「鮎」の字が日本で言うところの「なまず」を指す文字(言葉)であることでも明白だと思われます。

奈良時代の書物では「鮎」は「なまず」を表していることが読み取れるようです。

どう見ても魚としての見た目から「あゆ」と「なまず」を間違うとは考えにくいものです。


「あゆ」という日本語の音に対して「鮎」という漢字を充てたのは、それを考えた段階で漢語としての漢字の学習の域を越えて日本独自の文字として漢字を利用する段階に入っていたことが考えられると思います。

時代としては平安時代(西暦794年~)以降ではないかと思われます。


日本独自の漢字の使い方をして作った「鮎」という文字が、中国ではたまたま「なまず」という魚を指す文字として利用されていたということになると思われます。

「鮎」という字に「なまず」という意味があることが分かっていても「あゆ」という言葉に利用しようと思ったのは、漢語の拘束からの緩さをうかがわせるものではないでしょうか。


日本で「あゆ」と呼んでいる魚が中国にも生息しており、魚へんの一文字ではなく「香魚」として表されていたのが標準表記だったようです。

この「年魚」や「香魚」の表記は現在でも「あゆ」を表す表記として使用されています。

つまり、「鮎」という漢字は本家である中国に古くから存在していますが、その意味は日本語としての「あゆ」を指すものではありません。

「あゆ」=「鮎」は日本語としての漢字の使い方であり、漢字の形や意味を利用した新しい日本語ということができるものです。


さかなへんの文字(言葉)についてはその成り立ちにおいて大きく三つの方法が挙げられます。
  1. 漢語で持っていた意味をそのまま日本の同じ種類の魚にあたえたもの。
  2. 日本語としてさかなへんに魚の持っている特徴を旁(つくり)として加えたもの。
  3. 旁としてその魚と縁があるが直接的な特徴ではないものを加えたもの。
1.については文字も意味も日本でも中国でも共通したものとなります。
ところが2.3.については中国(漢語)にはない文字であることもありますし、同じ文字であってもその意味(魚の種類)としては違うものであったりします。

「あゆ」=「鮎」は3.に当たるものと言うことができるのではないでしょうか。


「あゆ」として「鮎」の文字を使う日本語においては「なまず」については「鯰」という文字を使います。

「ねばる」という意味を持つ「念」を旁として魚の特徴を示す文字の作り方をしています。

この「鯰」という文字はやがて中国にわたって「鮎」よりも高い頻度で「なまず」という意味で使われるようになっていきます。

どんな時代に伝わって、どのように定着していったのかは定かではありません。


日本で作られた漢字(和製漢語)が一気にその数を増すのが明治維新です。

この時に生み出された新しい言葉は広辞苑一冊にも相当する20万語を越えているといわれています。(参照:和製漢語の創出

新しいヨーロッパ文化を一気に取り込んで富国強兵へと向かっていった時代です。

新しい言葉のほとんどは漢字によって日本語化して取り込まれていきました。


やがて漢字の本国である中国へ逆輸入されたこれらの和製漢語たちが、現代中国の発展に大きく寄与したであろうことは想像に難くありません。

漢語を日本に輸入にした当時の中国は世界最先端の文化を誇った国であり、他の文化から学ぶものはほとんどない状態でした。

日本の明治維新の時期の中国は、産業革命を経たヨーロッパ文明に圧倒されてアヘン戦争などで侵略を許していた時代でもあります。

明治期以降は日本が作った和製漢語を通じて中国がヨーロッパ文明に触れていった時代となっていたのです。


「あゆ」も「なまず」も音としては漢字が充てられる前からことばとして存在していたものだと推測できます。

その意味では「古代やまとことば」と呼べるもであるかもしれません。

しかし「あゆ」「なまず」そのものが日本独自のものであり日本独自の音であるのかどうかは判断がつかないのではないでしょうか。

それでも「現代やまとことば」として扱うには不足のないことばだと思われます。
(参照:「現代やまとことば」を経験する

成り立ちを気にする必要のない「ひらがなことば」そのものだからです。

日本語の原点の感覚を伝えてくれることばたちではないでしょうか。

これからも様々な観点から「現代やまとことば」をご紹介していきたいと思います。


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